六本木クラスの感想、梨泰院クラスとの比較
テレビ朝日の六本木クラスを見始めてから、本家が気になってネットフリックスの加入、梨泰院クラスを見始めました。
そして再度六本木クラスを視聴、その感想…これってコントなの?
六本木クラスは、まるでウッチャンがやるコントのように安っぽく見えてしまいました。
趣味は韓国ドラマって言っているオバ様を内心馬鹿にしていましたが、日本と韓国のドラマの出来の差に愕然としてしまいましたね。
やっぱり、日本人ってお人好しが顔に出ているんですよね。
主演の竹内涼真が悪いわけではない(いや、悪くないわけでもない)。
まず復讐劇というのが、お人好し顔の日本人には向いていないんですよ。
最近、日本のドラマで評価が高いのは、どこか淡々としたドラマですよね。全員がいい人、みたいなドラマも少なくない。
もうドラマチックな展開のドラマというものが日本の役者では創れないんだと思います。
そしてドラマチックなドラマが創れない原因の一つは、悪役を演じることのできる俳優が少なすぎることだと思います。
黙っているだけで威圧感のある人、何か暗い影を感じる人、冷たい視線にゾッとする人、そんな役者って日本にいるんでしょうか?
もしかしているのかもしれませんが、日本のよくない所は、バラエティがやり過ぎてしまうところだと思っています。
例えば遠藤憲一、少し前まではヤクザの役など強面の役がはまっていましたが、バラエティではしゃぎ過ぎてしまったように思えます。
吉田鋼太郎も然り。
売れて知名度が上がると、ホイホイとバラエティに出演し、バラエティに役者としての価値を喰われてしまっていると思います。
もう遠藤憲一も吉田鋼太郎もおちゃらけたオジサンにしか思えなくなりました。
役者はバラエティになんか出るものじゃないと思います。
悪役がハマらないとドラマはつまらない。
六本木クラスでは、早乙女太一が金持ちのボンボン役を、その父親を香川照之が演じていますが、二人とも役不足だと思うのです。
早乙女太一は竹内涼真に比べて身長が低すぎるからライバルっぽく映らないですし、香川さんはふざけているようにしか思えない。
日本には
安倍元首相を撃った犯人の動機と陰謀論について
安倍元首相を撃った犯人、山上徹也の動機は、安倍元首相と宗教団体との関係だと言われています。
山上の母親が宗教団体に入れ上げた結果、多額の寄付をして破産をしたため、その宗教団体と関連しているとみられた安倍元首相を狙ったと報道されています。
しかし、母親が破産したからと言って、安倍元首相の命を狙うというのは飛躍しすぎて動機としては弱いと思います。
しかも母親が破産したのは、今から20年も前とのことですので、何を今更という感もします。
動機としては不自然なため、さまざまな陰謀論が噴き上がっているようです。
今回の事件は嫌でもケネディ暗殺事件を思い浮かべさせますので、陰謀論が出てくるのもやむなしという感じです。
ただ、この犯人の動機は、報道されているような、個人的な逆恨みではないような気がします。
安倍元首相について血筋については、まことしやかにネットで書き込みがされています。
犯人はこの噂を信じたのではないかと推測します。
外国勢力を政治から排除するという目的があって、このような犯行に及んだのではないかと思います。
事件を受けて、小池百合子都知事やその他の政治家が「民主主義への挑戦」だと犯行を非難していましたが、恨みによる殺人であれば「民主主義への挑戦」という表現には違和感があります。
小池さんについては、いつものようにカッコをつけただけだと思っていたのですが、犯行の動機が「外国勢力の排除」であれば、それは「民主主義への挑戦」と言ってもおかしくありません。
実は山上徹也は「外国勢力の排除」と安倍元首相の血筋について供述しているのではないでしょうか?
それをそのまま発表すると、ヘイトにもつながりますし、それに刺激された第二の犯罪も生み出しかねないので、犯行はあくまでも個人的な恨みからだとしたのではないかと推測します。
ただこのように犯行の動機を個人の恨みだと縮小して発表したために、犯行の不自然さが強調され、さまざまな陰謀論に繋がったと思われます。
それにしても警察、マスコミはなぜ宗教団体の名前を明らかにしなかったのか、
日本の組織、マスコミが何に影響され怖れているのか、はからずしも明らかになったような気がします。
大河ドラマ「平清盛」の感想をいまさら書いてみる
2012年の大河ドラマなので、今更すぎるとは思うけど、「鎌倉殿の13人」に引きずられてAmazonprimeで40話まで見た。
あまりに続けてみたせいで夢にまで清盛が出てくる始末なので、ここで感想を書きたいと思う。
このドラマ、当時の最低視聴率を更新したと話題になったと記憶しているが、それもやむなし、という感じがする。
まず何より脚本がダメだ、ダメというか、浅い。
登場人物が何でそのような行動をとるのか、まったく理解できないシーンが多々ある。
たとえば女ったらしの同僚の侍(のちの西行)が帝の奥方を襲ったとき、主人公の清盛は「俺がやったことにしろ」と同僚に提案する。
なぜ????
このように訳のわからないシーンは数知れず、おそらく清盛をヒーローにしたいがために無理が生じているのだろう。
ドラマの盛り上がりにはダークなキャラが必要だが、そのようなキャラをまったく描けていない。
松田翔太演じる後白河法皇も同じ、清盛も後白河法皇も「悪」として描き切れていないため、二人の間のエピソードが全て中途半場で意味不明だ。
「鎌倉殿の13人」の頼朝を見習ってほしい。
まず脚本がダメだと思うのだが、さらにキャストもダメだと思う。
何しろ、アイドル、イケメン俳優を使いすぎだ。
線が細い、今時の美男美女ばかりをそろえてどうする。しかも年齢まで同じくらいだから、だれがオジサンで誰が子供という設定なのかも分からない。
人気俳優をそろえれば視聴率がとれると思っている浅はかな魂胆が見え見えで腹立たしい。
平家には、西島隆弘、森田剛、窪田正孝、上川隆也、源氏には玉木宏、岡田将生、塚原高史…
女性陣には、加藤あい、深田恭子、武井咲、田中麗奈、おまけに松田聖子(ついでに浅香唯)…
これだけそろえておけばファンが見るだろうって?
イケメンや美女は、その他大勢の中にいてこそひきたつのであって、まったく制作費用の無駄遣いとしか思えない。
ここまで感想(悪口)を書いたので少しすっきりした。
劇中でひたすらにうじうじしている岡田将生の頼朝のパートは早送りして、残りの10話さっさと視聴してしまおう。
スマホがない世界
昨日から起きたauの電波障害が今日も復旧しない。
普段、スマホに電話の転送をして仕事をしている身としては、この状況では全く仕事にならないのだけれど、ある意味サッパリしている。
電話が繋がらないのだから、電話を待つ必要もない。
思えば、携帯電話が普及し始めたとき、随分と長い間、携帯電話を持たずに過ごした。
電話に縛られたくないと携帯電話を持つことを拒否し続けたのだけど、一回携帯を持ち始めると、もうそれなしの生活は考えられなくなる。
いったい携帯電話、スマホは僕らの生活に本当に必要なのだろうか?
話は随分と飛躍するが、スマホがあるせいでトレンディドラマは死んだと思っている。
ドラマの醍醐味はすれ違いなのに、スマホがあればすれ違いが起きない。
トレンディドラマが死んだことによって、幻想が消えた。
幻想が消えたことによって、憧れや情熱が消えた。
理想や夢を外の世界に求めるより、家の中でスマホをいじっている方が多くなった。
かくして20代の過半数は一度もデートをしたことがないというアンケート結果が生まれ、イーロンマスクに日本は滅びると言われるまでの人口減少が続くことになる。
携帯電話のせいで、ドラマの衰退だけでなく、日本の国家衰退まで引き起こされるのだ。
かなり話を大きくしたところで、現実に戻ろう。
電話が繋がらないと1日2日はサッパリしたなどと言っていられるが、1週間も続くとそんな悠長なことは言っていられなくなる。
それにこうしてブログ記事は自宅のWi-Fiを使ってiPadで書いているのだから、スマホから自由になるなどというのは所詮無理な話なのだ。
アイフォン値上がり
アイフォンを買いかえようと思っていたのだが、もう少しコロナが治るまで…などと考えていたら2万円以上値上がりしてしまった。
予告なしの値上がりで、すっかり買い替えのタイミングを失ってしまったが、僕のアイフォンは何を隠そう、まだ7なのだ。
このままあと何年使い続けることができるんだろう?
それにしても値上がりしたものは、アイフォンばかりではない。
身の回りのもの、全てが今後値上がりしていくだろう。
下がるものと言えば、加齢による体力くらいのものか…いや、全然笑えない。
欲しいものがあればもう今のうちに思い切って買ってしまう方がいいかもしれない。
そこまで値上がりしてしまうなら、それらに依存しないで生活しようと考えるべきなのかもしれないが、物欲がさらに燃え上がるのが昭和生まれの発想だ。
開き直っていないで、食べ物などは、ベランダ菜園など始めた方がいいのかもしれない。
とんだサバイバル時代がやってくるのかもしれない。
大河ドラマをイッキ見
暑い、暑い、そんなことを書いても涼しくなるわけでもないし、意味がないけど書かずにはいられない。
暑いと何が困るかと言ったら、外に出る勇気がなくなる、何かをする気力が失せるということに他ならない。
もうコロナ自粛を続けて3年近く、今年は止まっていたことを再開しようと思っていたけど、この暑さだ。
暑さが少しおさまってからにしよう、そんなことを考えていたら、今度はコロナが再拡大しそうな勢いだ。
どうしたらいいんだろう、途方に暮れる。
先週の休み、僕がやったことといえば、アマゾンプライムで大河ドラマのイッキ見。
現在「鎌倉殿の13人」という鎌倉幕府を題材にしたドラマを放送しているが、この時代の少し前のことも知りたくなり、
「平清盛」をぶっ続けで見た。50話あるので、流石に全部見終わることはできなかったが。
それでも今朝の夢には平清盛が登場した。
しかし、これで良いのだろうか?自責の念が湧く。その念から逃れるために、こうして放置してあったブログを開き記事を書いている。
何かをしなければならない、けど何もしたくない、この堂々巡りから逃れなければと思うのだ。
お尻の病気
病気は、どんな病気でも辛く、けっして笑えるようなものではない。
それは当然なことなのに、どうも「お尻」に関しては違うような気がする。
正月が明け、数件の仕事をこなしたあと、お尻がパンパンに腫れて、座ることも歩くこともままならず、数日間横向きのままうんうんと寝込んでいた。
原因はお尻にある脂肪の塊で、こいつが何かの拍子に炎症を起こすらしい。
毎年1度はこのようなことが起きるのだ。
「実は体調が悪くて」
「どうされました?」
「お尻がパンパンに腫れて動けないんです」
こんな会話をしても、絶対に深刻には受け止めてもらえない。
笑われはしないかもしれないが、何となく間が抜けている。
間が抜けているのは診察の時も一緒だ。
診察台にうつ伏せになり、お尻を出す。
それは仕方ない。患部を見てもらわないといけないから。
「前回撮ったCTですけど、放射線担当が言うには、膿が溜まっているんじゃないかとのことです。この部分ですね…」
僕はうつ伏せでお尻を出したまま、首をひねってそれを聞いている。
いやいや、「洋服を戻してこちらへお座りください」くらい言わんかい!
CT撮っておいて膿が溜まっているって、そりゃそうだろよ!
心の中では罵倒しているが、客観的に見て間が抜けているのは間違いない。
病院の待合時間で読んだ、さくらももこのエッセイ「もものかんづめ」の第1話も痔の話だった。
お尻の病気はどんなに辛くても、笑いのネタになってしまうのだ。
今心配していることがある。
今週、宅地建物取引士の法定講習を受けなければならない。
朝から夕方までみっちり講習がつまっている。
これは延期できない。
何しろ、殿様商売なのだ。
申込方法ひとつ見てもそのことは明確だ。
いまどき、講習の申し込みがインターネットでできない。
それどころか電話でも郵送でもできない。
わざわざ都内の窓口まで出向いて申し込むのだ。
その際、講習を受けないと免許の更新ができないと念をおされている。
パイプ椅子に長時間座ることに備えて、座布団を買った。
整体師が開発したという、低反発の座布団だ。
少しかさばるが当日はこれを持って行こう。
ただし、ひとつ問題点がある。
この座布団は真ん中に穴が空いている。
わざわざこの座布団を持っていく僕を周りの人間は痔だと思うに違いない。
目があった瞬間、僕は痔じゃないんですよ!そう言ってやろうか。
それとも、サッと挙手をして、みなさん僕は痔ではなく、お尻の炎症のためにこれを使っているんですよ、と小さな演説をしてやろうか。
くだらないことを考えているのである。