ファッションセンス
同居の義母がダウンコートを買ってきた。
今年はいつもは行かない大型店で、妻の意見を聞き入れながら慎重に品定めをしたらしい。
「暖かそうでいいじゃん」僕は慎重に声をかけた。
思えば昨年、やはりダウンコートを買って戻ってきた義母に、「まったく同じようなコート持っていなかったっけ?」
と声をかけたのはマズかったらしい。
妻はそんなこと言わないで!とたしなめるような視線を向けてきたけど、発した言葉は戻らない。
「本人も気にしていたらから、私も言わないようにしていたのに」と後から妻に怒られた。
でも確かに今まで着ていた、グレーと紫の中間のような色合いがそっくりだったのだ。
好きな色というのは、年代によって違うものなのだろうか?
義母の世代くらいをターゲットにしていると思われる街の洋服屋をのぞくと、同じような色合いの洋服ばっかり売っている。
僕が失言した、例のグレーとも紫とも言えない色合いの洋服だ。
このような色は、この世代が好きなのか、それとも誰でも歳をとればそのような色が好きになるのか?不思議だ。
さて、翻って自分のことだ。
ブーツを買ったから、レザーのジャケットを買いたいと思って、そのことを友人に話したら
「気をつけないとインディジョーンズになるからね。どこ冒険しに行くの?みたいな」
そう言われ、インディジョーンズをあらためて検索してみた。
ヤバかった。
本当にインディジョーンズになるところだった。
ファッションだから、自分が好きであることも大事だけど、他人にどう見えるかも大事だ。
あらためて洋服ダンスをのぞくと、緑色やカーキの洋服ばっかりだ。
インディジョーンズは免れたかもしれないが、スナフキンと呼ばれるのは避けられそうにない。
この世にクリスマスがなかったら…
この世にクリスマスがなかったら、この薄暗い冬を毎年乗り越えられるだろうか?
キリスト様、よくぞ12月に生まれてくれました!
問題はお正月気分も抜け、特にイベントもない、1月から2月の間です。
陽は少しずつ長くなりますが、寒さも本番、静電気バチバチの季節です。
いちばん嫌いな季節が控えていますが、今は華やかな街の雰囲気を楽しみたいと思います。
こ
ランチは山のベンチで
今日は施設に入所している方のところに訪問に来ました。
時間が空いたのでお昼を食べることにします。施設の裏手が山になっていますので、お昼は広場のベンチで。ピクニック気分ですね。
旅行に行かなくても紅葉が楽しめます。
枯葉と同じ色をした数匹の蝶がじゃれあうように陽だまりの中を飛んでいました。
と、ここまではいいのでが、買ってきたコンビニのお握り、二個とも鮭でした!
一つを食べ終わって、二つ目は筋子のつもりだったのに、ご飯の中からさっきと同じ鮭が顔を出したときは衝撃でした!!
買い物するときは、他のことを考えず、目の前のことに集中しましょう!
北海道旅行
北海道の雪のニュースが連日届くようになりました。
季節は冬に向かってまっしぐらなようです。
そんな北海道に、ちょうど1カ月ほど前、妻と二人で旅行に行ってきました。
「北の国から」ファンであるボク達は、若い頃から何度か北海道には行っているのですが、秋には一度も訪れたことがなかったので、紅葉の時期を狙って行ってきました。
久しぶりの北海道は、やっぱり素敵でした。
雄大な景色、おいしい食べ物、心に残るシーンはいくつもあったのですが、妻の印象に一番残ったのは美瑛の丘のようでした。
旅行二日目のその日は、雲が多い一日で、さっと太陽の光が差し込んだかと思うと、今度はパラパラと小雨が降るような安定しない天気でした。
僕たちが美瑛の丘に到着したのは、もう夕方近い時間でした。
丘と林を一直線に切り刻んだ急こう配の道路を上りきると、360度のパノラマが広がっていました。
西の方は晴れていますが、反対の東の方は曇っています。
見ると丘を激しく濡らす雨雲が迫ってくるのが見えます。
冷たい風も吹き始め、もうじき、僕たちの立っている場所も激しい雨に包まれることでしょう。
僕たちより遅れてタクシーでやってきた観光客(写真の女性)が、タクシーの運転手に呼び戻され、写真を1、2枚撮っただけであわただしく帰っていきます。
僕たちの他に誰も人影はありません。
妻も盛んにボクを呼んでいますが、写真を撮っていたボクはしばらく妻の声を無視していました。
嵐の景色も面白いとも思ったのですが、ずぶ濡れになるのも嫌なのでしばらく写真を撮ってから車内に戻りました。
「もう、なんですぐに帰ってきてくれないの」
一足早く戻っていた妻が半分怒って言いました。
「ここは、クマの寝床が近いって看板に書いてあったよ。朝夕にクマが目撃されてるって。それで、クマが近くまでくると、獣の匂いがしてくるから、獣の匂いがしてきたら注意してほしいって。急に獣の匂い、してきたでしょ!近くにクマが来たと思って、一生懸命呼んでいるのに全然帰ってこないんだもん!」
なるほど、それであんなに一生懸命ボクを呼んでいたんですね。
確かに、雨の近づく風に、動物の匂いが混じり始めたのは間違いありません。
ですがボクは、それはきっと近くの牧場の匂いなんだろうと思っていました。
「あれは、絶対クマだよ」
帰り道の車内でも妻は繰り返します。
「タクシーの運転手もお客さんに危険だからって呼び掛けていたじゃない」
「そんなこと言っていた?」
まだ半信半疑のボクに「言ってたよ」ともどかしそうに言います。
だから女性はあんなに急いで帰っていったのかな?
そうとも思いますが、今となっては事の真偽は分かりません。
ですが、あの美瑛の丘の景色は強烈に妻の記憶に残ったようです。
「わたし、人生の最期の一瞬に、あの景色が蘇るかもしれない」
妻は言います。
「夕暮れの美瑛の丘の上、雨雲がすごい勢いで近づいてくる中に一人で立っている姿、急に匂ってきた獣の匂い、そんなシーンが人生の最期に蘇ってくるかも」
妻の言葉を聞きながら、ボクは思います。
最期に蘇ってくるのは景色なんかじゃなくて、おいしくて次の日も再購入した小樽のお団子なんじゃないのかな…
貧乏性
電車のイスは端っこが好きだったり、10円足りなくて1万円札を使わざるを得ないときすごく悔しかったり、旅先ではスケジュールがみっちり詰まっていないと安心できなかったり。
昔の記事でも書いていますが、根本的に僕は貧乏性なんだと思います。
それで、最近、またひとつ自分の貧乏性に気づいてしまいました。
それは、晴れの日は洗濯をしないともったいないと感じてしまうということです。
正直、今日は洗濯するものなんてなかったんです。
でも、こんなに快晴なんです。
洗濯しなきゃ、もったいなくないですか?
洗わなくてもいいものを洗いましたよ。
もったいないという意味では、たぶん、水道代の方がもったいないです…
夏の思い出
ふと、小学生の頃、我が家に親戚が遊びに来たときのことを思い出しました。
僕はそのころ祖父母と暮らしていたので、お盆になると叔父、叔母たちに連れられて従兄弟たちも一緒にやってきました。多い時は我が家の居間に15人も人が集まったのです。
普段交流のない従兄弟たちとは、最初のうちこそぎこちないですが、そこは子供です。すぐに打ち解けて、スイカを食べたり、花火をしたり、楽しく時間を過ごしたものでした。
そして夏の終わりを感じる今日、ふと思い出したのは、そんな従兄弟たちが自分の家に戻っていく日のことです。
波が引くように、みんな一斉に帰ってしまうと妙に家の中が静かに感じられて、なんとも言えず寂しくなったものです。
家に帰る従兄弟たちは、サヨナラを言う寂しさより、自分の家に戻ることの安ど感の方が大きいようで、あっさり帰っていきます。車内から屈託のない笑顔のままに手を振る彼等を少しうらめしくも思ったりもしました。
あの頃と違って、夏だからといって、海にも出掛けないし、花火をするわけでもない、ただ暑いだけの、しかも限度を超えて暑いだけの夏ですが、ワーッと来て、ワーっと去っていく、あの従兄弟たちにも似て、夏の終わりを感じると何となく寂しくなるものです。
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暑い日が続きますね。
あまりに暑いと、本来絶好のシーズンであるはずの蚊さえ活動できないとか。
それなら信州育ちのボクがブログを休みがちなのも仕方ないですよね??
(仕事はちゃんとしていますよ)
今日は曇って少しだけ涼しいので、ブログのことを思いだしました(汗)
夏の雲も涼しいところからみるのだったら好きなんですが…